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追悼 伊丹潤
2011年6月26日没。享年74歳。

僕が唯一勤めた建築家。
お互いに認め合っていた唯一の建築家。
10年前、当時まだ今の伊丹事務所のように大きなプロジェクトをあまりしていなかった時代に僕が入所し大きなBIOTOPIAのプロジェクトをほぼ1人でまとめて、その10年後に今の伊丹潤があるのは僕のおかげだと言って認めてくれた建築家。
絵や文化のわかる建築家がいないと嘆いて、僕を絵や文化をわかる建築家だと認めてくれた建築家。
「オガワちゃん」といつもやさしかった。
当時は代々木八幡近くの”墨の庵”に事務所を構え、鉄板で囲まれた空間の吹き抜け部分に李禹煥の絵画が掲げられた空間で所員はわずか4人という事務所だった。新建築の表紙を飾った竹で覆われた外観の特異な建築に惹かれ電話したところ、ポートフォリオを持参で来て欲しいと言われ持って行くと、非常に気に入られたみたいで是非ウチで働いてみないかということになったのだ。ポートフォリオには建築だけでなくインスタレーションや椅子や絵画・陶芸など様々なものが入っており、それを見て、絵も陶芸もわかる建築家なんて皆無に等しいんだよ。と目を輝かせていた事を思い出す。確かスケッチを一枚描かされて、「ウンいいね~。線を見ればすぐに良いか悪いかわかるんだ。」と。李禹煥の絵がもともと好きだった僕はその事を話すと嬉しそうだった。

実は伊丹氏が在日韓国人二世だとは入所するまで全く知らず、プロジェクトが韓国で進んでいることも全く知らなかった。
初日に「韓国の済州島の広大な敷地にリゾートタウンを作る計画があって、1000戸の集合住宅、他に美術館や中心施設とか作るから、基本構想をまとめて欲しい。」といわれ敷地図面を渡される。途方もない敷地。他の所員に聞いても、そこまでのプロジェクトをした事のある人間はおらず、まったくの手探りの状態での出発。結局二階の事務所スペースの半分を占拠し大きな模型や図面を広げて、仕事を進めていったことを思いだす。はじめのプレゼンでコンセプチュアルな図式を示すと、「いいねえ~度肝を抜かれたよ。」と嬉しそうにしていた。そして幸いにもクライアントへのプレゼンでもうまくいって、そのプロジェクト(BIOTOPIA)をまとめるのが僕の仕事となった。伊丹氏は今思えばあまりその規模がわからないのか、「うんうん、いいねえ~どんどんやってくれよ。」とほんとにこのままでいいのかわからずもほぼ1人でプロジェクトを進めていった。密集性ー多様性をブロック単位でズレや反復をしていき生み出すというミニマリズム的な発想の手法。一応まとめて形となりその方向で本決まりとなって一段落したところで、このプロジェクトは10年がかりになるけどやってくれるか?と聞かれたのだが、暫く考えた挙句、たまたまちょうどフランスに行く機会に恵まれたので一年間ヨーロッパに行きたいというと、快く承諾してくれた。伊丹氏も若い頃ヨーロッパで放浪していたからその経験がその後の人生において絶対役立つと言って背中を押してくれた。「僕の若い頃に似てないか?いい男だろ?。」と奥様に紹介してくれたことも思いだす。僕と同世代の娘はいるが息子はいなかった伊丹氏にとってもしかしたら息子のように映っていたのかも知れない。
たまに飲み会があるのだが、坂茂氏などをはじめ著名な建築家やデザイナー、美術家などが集まり、おちおちと飲めない飲み会だった。
結局一年も在籍はしなかったけれども相当なインパクトを残したのか、こんな短い期間しか在籍していなかったのに伊丹氏が認めるなんてめったにない事だと言われたし、数年後にも何回か飲み会に呼ばれたり、作品集を送ってくれたりと何かと気にかけてくれていた。

異端の建築家とかと呼ばれたり、韓国人であることから差別されたりも数多かったのだろう。僕は昔から海外の人たちとはわけへだてなく付き合ってきた環境にいたのであまり感じていなかったが、僕は母の出身が有田なので元をたどれば李参平だから韓国人の何十代目かも、というと、嬉しそうだった。

帰国して結局僕は伊丹事務所には戻らず、独自に設計活動を始めたのだけど、数年前にそのBIOTOPIAプロジェクトが僕の描いた絵の通りに出来上がっていたのを見つけて嬉しかった。

一昨年だったか、急に忘年会に呼ばれて、久しぶりにお目にかかった際、「今の伊丹潤があるのはオガワちゃんのおかげなんだよな、。」と嬉しそうに言われたことを思い出す。「元気か?今日は来てくれてありがとう。がんばれよ。」たぶん最後に聞いた言葉だ。口には出さなかったがずいぶんと痩せたな、という印象だった。しゃべると昔のように元気だったけれど。

時に厳しい時もあったけれども、いつも笑顔でやさしく接してくれたことを思い出す。


合掌


ITAMI JUN ARCHITECTS
wiki 伊丹潤
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