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1Q84-2 と 川村美術館
ようやく手に入れて読み始める。
 1Q84の一年後、1985年の極彩色、今では売れっ子建築家ゲーリーに感化を与えたフランクステラの作品を久しぶりに見る。80年代。ステラ全盛期。あの頃の気分が蘇る。現代美術も年代と無関係ではない。この間見た映画「L'heure d'ete」の美術品のように美術館に入った時点で監獄に入ったも同然なのは美術館という命題の宿命か。でもそれを鑑賞できるのは有難いと思わなければならないのか、、。「建築とは時代の意思である。」と言った建築家ミースと同じく、いやそれ以上に、、現代美術はスピード、そして時代感覚が必要である。アリかナシか。その判断は恐ろしいほどに感覚的なものだろう。マクルーハン「メディアはメッセージである」ではないが、美術にその社会的、美学的意味がなくなったら、単なる懐古趣味の骨董品になってしまう。学芸員が一生懸命レンブラントの作品を前にして、「この時代に、いわゆる「普通の」無名の人の絵を描いた事が凄いのです。」と力説しても、今の人にとっては、何の意味も持たないし、単なる教養の一部でしかないのである。
06-1bilbao01[1]ゲーリー グッケンハイム・ビルバオ

 本来、現代美術とはそのようなものではない。マークロスコ〈シーグラム壁画〉 その意味で良くも悪くも58.-9年と言う時代の記号が否応なく記録されている。そしてこの後untitledというtitel以上にこの年代は記憶されるのではないだろうか。ぼんやりと明暗で浮き沈みする色の陰影。茶褐色・黒、、正直に言うと、ロスコの作品はもう少し色が美しいものが好きだ。この作品郡は私には過去の60年代の一歩前の作品郡としての意味しかもたらされなかった。レヴィストロースが傑作la pensee sauvageを生み出す2-3年前、構造主義の幕開けの時代、、その頃の作品である。 その時代にもてはやされ、生まれたものである。ロスコにとっては最晩年、売れ出していた頃で、孤独、自殺する直前に描かれた。黄昏の領域の作品である。当初予定され、ロスコ自身がその場所に置かれることを拒否したレストラン(ミースの設計したシーグラムビル・フォーシーズンズ内)は兎も角も、このようなホワイトキューブの美術館より、たとえばオークラのロビーのような、瞑想に耽れるような静かでほの暗い洞窟のような空間が似合うのでないだろうか。そして、美術館に足を運ぶカジュアルな若い人達に囲まれるのではなく、黄昏を楽しむかのようなゲストの多い空間こそ、この作品の置かれる場所ではないだろうか。少なくとも常設のロスコルームよりも広い今回の展示空間と高い位置に掲げた展示方法はあまり効果的ではない感じがした。
rothko_room[1]ロスコルーム 川村記念館
rothko[1]ロスコ シーグラム壁画 スケッチ

 時代の意志というものは確実にあるような気がする。 80年代のフランク・ステラ、ドゥルーズ風に言えばrizhome、corps sans organe、高次元多様体を具象化したようかの作品。そちらのほうが私にとってその時代を共有していた分しっくりとくるし、今の気分にあっている。

christmas[1] 《メリー・クリスマス 3X(第3ヴァージョン)》 1987年

 帰り道1Q84の「ふかえり」のような不思議な漫画家と話していてふと思った。リトルピープルがたくさん出入りするポケットがあって、彼らは気まぐれに出入りする場所を変えて生きているのだろう。
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